健康な社会作りと臨床研究

(本連載については、きぼうときずなホームページ外部からのリンクで読まれる方もおられますので、きぼうときずなの活動とは独立に執筆しております。)

1.連載に当たって

疫学・生物統計学を専門としている大橋靖雄です。これから治験や臨床研究に関心をお持ちの方に定期的に情報発信させていただくことになりました。
私はもともと東大の数理工学出身ですが、東大病院の中央医療情報部を経て、1990年に当時の東大保健学科疫学教室教授に就任し、1992年の学科改変に伴い、日本で最初の生物統計学講座を設立しました。
1990年代まで日本の治験は「ガラパゴス」状態でした。世界標準から見れば極めて異質な「形式的治験」が行なわれ、似たような新薬(当時はゾロ新とよばれました)がたくさん承認されていました。はっきりいって統計家はいらなかったのですね。昨今の某製薬会社の臨床試験に伴う不正行為の根本は、臨床研究の基盤が育たなかったことにあるのです。(詳しくは最近出版された黒木登志夫「研究不正」中公新書をご覧ください。黒木先生は私と同じ時期に東大におられ、今回の出版にあたっては取材にこられました。)

さて私は、大学や民間で生物統計家を育て、JCOG(Japan Cooperative Oncology Group)データセンター設立支援など、臨床研究の基盤を作り、治験と臨床研究の質を上げることが国民の福祉に直結すると思っていました。確かに日本の治験の質は向上しましたし、新薬承認のタイムラグもなくなりましたが、結果はどうなったでしょうか。生存延長効果は確かにあるものの極めて高価な抗がん剤が日本の医療を崩壊する、とマスコミで騒がれています。国民皆保険を守り保険医療システムを維持可能とするためには、予防あるいは未病対策が必要であり、そのためのエビデンスがますます必要となります。

これを実感した例を紹介します。私は福島市出身であるということもあり、2011年から「きぼうときずな」(http://www.kiboutokizuna.jp/index.html)という東日本大震災支援プロジェクトを継続しています。このリーダーは元女優・キャスターの石井苗子(いしいみつこ)さんです(http://ishiimitsuko.com/)。石井苗子さんは40歳を過ぎてから難病の妹さん(残念ながら2010年に亡くなりました)の介護のため当時の聖路加看護大学で看護師・保健師の資格をとり、東京大学大学院に進学し、私のところで集団健診のテーマで保健学博士を取得しました。きぼうときずなプロジェクトで支援を行なっている富岡町の住民は、放射線リスクのために全員が町外に避難し、今も戻れません。仕事を失い、しかし補償を受けている男性では、生きがい喪失と不活動のため、肥満と糖尿病が大きな問題となっています。健診データを調べると2010年から2015年の5年で、HbA1cの軽度異常・異常が33%から51%に、BMI25以上が29%から42%に増えています。このままでは慢性腎疾患から透析、脳心血管イベントが増え、癌の増加も心配されます。しかし、その対策立案のためのエビデンスはほとんどないのが実態です。画期的新薬だけではなく、予防・未病対策のための臨床研究が必要です。それを新しい地域作りに反映させねばなりません。研究方法と、(情報保護を含む)システムと、現状の数十倍の研究費と、研究に参加される方々の理解が必要です。

2016年6月20日
大橋 靖雄



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