- 前:NPO法人日本臨床研究支援ユニット理事長
東京大学名誉教授
福島市出身
本当の空を住処とし、ますます視野を広げ、先見の明に磨きをかける
- 参議院議員
東京都浅草生れ
きぼうときずなのある日本を目指して、天空と交信を続ける
- 医療関係者やスタッフを乗せて被災地を縦横無尽に駆け巡っている。三つ子。福島県いわき市在住
大空のもと、道なき道も走り続け、銀河車両を目指す
No.46 きぼうときずな代表 大橋靖雄 天国からごあいさつ♪
……あれから2ヶ月ですかね
ん?!今、先生の声が聞こえたけど、気のせい?空耳?
……石井さん、ここに居ますよ僕は
空耳ではないわ、空からの声、大橋先生ですね。
東日本大震災から10年のまさに2021年3月11日。きぼうときずなにとっては、まさかの出来事が起きてしまいました。大橋先生逝去
……
告別式では気丈にふるまっていたが、哀しみを隠しきれない石井の眼差し。大橋の遺志をついで、きぼうときずなプロジェクトを続けていくことをあらためて決意していました
この10年、常に全力で支援活動に取り組んでらっしゃいました。病気を発症されてからも被災地へ足を運び私たちの活動の指揮をとってくださいました
……
きぼうときずなプロジェクトは2011年4月東日本大震災によって被災された住民の皆様の支援をするために大橋先生が代表となり創設、先生が理事長を務めるNPO法人日本臨床研究支援ユニット内に事務局を設置、いつも私たちに知恵と勇気とそして力を与えてくださったわね
……( ̄^ ̄)えっへん
震災後、すぐに私たちは福島へ車を走らせましたね。あの時大橋先生は車の窓ガラスに額をつけて、自衛隊のトラックに向かって何度も“ありがとうございます”を繰り返してらっしゃいました。先生の真摯な姿勢に私は胸の詰まる思いを感じたものです
……
私たちは大切な先生を失ったことで、あらためて震災で大切な方を亡くした悲しみ、原発事故で故郷を離れなければいけない悲しみ、多くの方々の悲しみを心の底から共感し共有しています
……
大橋先生の告別式から3日後の3月17日には福島県で医療支援活動を実施、3月20日は富岡町にあるショッピングモールで、そして3月24日は先生の故郷福島市内にある災害公営北中央団地。先生の遺影をもって医療支援活動を続けてますよ
……はい ごくろうさまです
浪江町出身の北中央団地自治会長さんが写真を撮るのが趣味だと言っていろんな写真をくださったの。その中に雪の朝の福島市内の写真がありました。信夫山が写ってました
……
その写真を手にしたとき、あっ今ここに先生がいらっしゃるって感じたわ。
福島市のシンボル信夫山には大橋家のお墓があって、先生は福島市の活動の時には必ず私たちより早い新幹線で移動してお墓参りをされてたものね
……
大橋の故郷福島の本当の空の風景
高村光太郎の智恵子抄『あどけない空』に描かれた「ほんとうの空」と同じように、大橋も震災そして原発事故で苦しむ福島の人々を想ってこの本当の空を見上げたことでしょう。
福島で生まれ福島で育ち18歳で東京に出た大橋。子供のころ家族で海水浴に出かけた浜通り、青春時代を過ごした中通り、福島県内で医療システムが一番進んでいると称賛していた会津……。高校卒業以来49年間の旅を終え、まもなく大橋は懐かしいこの地に戻り、本当の空から故郷を見守ることでしょう。しばしの休息のあとは、きっと地上に居た時のように世のため人のために空の向こうで働いているにちがいありません!
風が吹いて、窓際においた資料がパラパラと音を立ててめくれると、あ~先生がいらっしゃるなって感じます
……
大学教授の本領発揮! 機能性表示食品という新しいジャンルや自律神経についてなど被災住民の方にも知ってほしいことを、自分で資料を作成しかみくだいてのミニ講座のはじまりです
会場に設置した先生が作られたパネル、ネジが緩くてパタンと落ちたとき、あ~先生がいらっしゃるなって感じます
……
健康支援活動では、大橋は得意の専門知識をパネルや表にして会場に持ち込み説明係として活躍。2018年の富岡町夏祭りには2011年の震災以降、毎年福島へクリスマスプレゼントを届けてくれる厚木キャンプの米軍兵も参加してくれました!大橋は張り切って内臓脂肪などの説明をしていますが、体格のいい彼ら、意外と真剣に聞いてるみたいですね
とりわけ、ぺ号に乗った時、運転手のAIBA君が、「いいですか?」って助手席をみる仕草に、あ~先生がいらっしゃるなって、いつも助手席でいろんな話をしてくださいましたね
……
専門知識が豊富な大橋の話は、同じ医療健康分野を仕事とする保健師AIBAや石井にとって格好の勉強の場! ぺ号は大橋教授による移動教室でした
本当におもちゃのように面白い方でしたね。ネジを巻いたらどこまででもいってしまう、いったん動き出したらもう誰にも止めることはできません
……
平成25年度の富岡町敬老会ではじめて開催した健康チェックイベントで、新聞記者の取材をうける大橋。きぼうときずなが被災地の人々に受け入れられた嬉しい日でした
復興庁関連事業「心と体の栄養栄養復興」では、内臓脂肪を減らすための大麦や石井考案の鳥ひき肉に福島特産えごまを混ぜた「エゴマ団子」を用意。暑い会場で大橋も汗だくでエゴマ団子作りを手伝いました。岩沼で開催されたまち開きのイベントでは「エゴマパウダー」をプレゼントしたり、富岡町で開催されている体操教室に大橋石井も参加させて頂いたこともありました
より多くの方々に気楽に健康チェックに参加していただけるよう、スーパーでの無料の健康相談を開始しました。人気の石井の健康アドバイスのかげで、大橋は待っている方々に声をかけては疑問や質問に分かりやすく答えていたのです。大学教授というよりやさしい物知り先生という印象ですね
ヨークベニマル平野店で開催した健康チェックでは、「血圧脈波測定」のやり方の詳細を教えに仕事の合間をぬって東京から飛んできた大橋、お客様が途切れた数分間も石井と勉強勉強!です
支援活動はたいてい朝が早く、さすがの大橋も一度だけ特急に乗り遅れたことがありましたが、新幹線の中は大橋と石井の打合せの場でありねぎらいの時間でもありました。2017年富岡町の帰町が始まった時はまだ建設中だった駅舎。この後、半年後に完成をみました
自律神経機能測定
念願のソフトを導入するための準備会で嬉しそうな大橋と真剣顏の石井
cooking
みずから健康料理を実演。真剣です
広報活動
会場に着くやいなや案内も自分で掲示
休憩
休憩の時も本のコーナーで情報収集
ソーシャルディスタンス⁈
富岡町で初対面のペッパーくんにソーシャルディスタンス
お土産
こっそり中を確認(お饅頭みんなの数だけあるかなあ…)
初詣
事務所近くの神田明神に毎年初詣。希望と絆がある日本を願います
睡眠講座
眠れないときに数えるのは「羊が1匹、羊が2匹」ではなく「sheep sheeeee~~p」(「シ~~プ シ~~~プ」)と息を吐きながら言うのがいいのだとか。羊を撫でながらのお役立ち情報でした
リリー・フランキー
富岡町帰町式典に出席した大橋、住民が駆け寄ってきて リリーフランキーさんではないですか!? と間違えられました。これ、本当です! 似てますか?
番号間違い
きぼうときずな創設当初の大橋です。昨日のことのようですが、どこに電話をかけているかはぜひ動画をご覧ください。真剣な大橋にくすっと笑えてなごみます
大橋先生が理事長だったNPO法人日本臨床研究支援ユニットは新理事長が就任しましたよ。先生に一番近い方、東大大橋研究室以来長きにわたり共にあった方ですね
……甘利さんなら安心です
偉大な先生からみれば、私たち一人一人は小さい力、でも皆で力をあわせて頑張ります!!
“被災地の明日への地域医療”大橋先生の遺志を継いで活動を続けていきます。
大橋先生の遺志を継ぐことは先生がよみがえることでもありますからね。
先生の復活こそ、私たちのきぼうであり、きずなになります
ありがとう!
「きぼうときずなのために Y.Ohashi」
金色のペンでサインを入れた大橋のポートレイト。2014年3月、大橋の東大退官パーティーの会場で、きぼうときずなに寄付をして頂いた方々へお礼に配りしました。サインはすべて大橋の直筆で、東大の教室いっぱいにポートレイトを広げてインクを乾かしてる様子は真剣そのもの。いつでも全力投球でした
大橋靖雄 | |
1954年1月2日 | 福島市に生まれる(本籍 福島県) |
1972年 | 福島県立福島高校卒業 |
1976年 | 東京大学工学部計数工学科卒業 |
1982年 | 東京大学工学博士 |
1990年 | 東京大学医学部教授 |
2001年 | NPO法人日本臨床研究支援ユニット理事長 |
2005年 | スタットコム株式会社取締役会長 |
2006年 | NPO法人日本メディカルライター協会理事長 |
2009年 | 一般社団法人日本臨床試験研究会(現学会)代表理事 |
2011年 | NPO法人日本臨床研究支援ユニット内にきぼうときずなプロジェクト創設 |
2012年 | 一般社団法人日本医薬情報コンソシウム理事長 |
現在名 日本保健情報コンソシウム | |
2014年 | 東京大学名誉教授 中央大学理工学部教授 |
2021年3月11日 | 死去 享年67歳 |
賞 罰 | |
1983年11月 | 日本経済新聞品質管理文献賞 「データ解析 ―最近の動向と傾向」 |
2011年06月 | 日本計量生物学会 学会賞 |
2014年09月 | 朝日がん大賞 |
解説
工学部においては応用統計学を専攻。日本の農事試験にFisherの実験計画法を導入した奥野忠一教授の最初の修士。多変量解析を専攻、検査データの管理や産業被爆の疫学調査、原発周りのムラサキツユクサ突然変異の解析のころから、生物・医学系に関心が移る。
開原成允・初代東京大学医学部附属病院中央医療情報部教授から病院に招聘される。目的は日本に存在しない生物統計学の講座設立。教育の研究のために渡米、臨床試験のデータ管理に接し、日本にその概念を導入。当時の保健学科・疫学教授に36歳で就任、戦後の医学部教授としては最年少。
研究の中心は、臨床試験方法論と医学データ解析方法論である。発表された論文は原著で500編を超えている
2011年3月11日の東日本大震災に際しては、福島県の被災者支援医療活動「きぼうときずな」を、NPO日本臨床研究支援ユニットの事業として聖路加看護大学の協力のもとに開始。2011年にはのべ1000人の保健師・看護師を派遣し、避難所・仮設住宅・借り上げ住宅の訪問活動を展開した。2012年度以降は、いわき市、富岡町(郡山市に避難の被災者)と契約し被災者宅の訪問活動を継続し、2013年度には敬老会・がん検診時の健康相談・啓発事業も行なった。復興庁、福島県庁の補助事業を通して被災者支援とともに、介護予防をめざした地域保健活動に尽力。
こんにちは、現地で走り回っているきぼうときずな号です。
2021年の3月のおしゃべり通信に向けて、以下のつぶやきを準備していました。
「大切なことを、失ってしまう前に大切なことだと認識しておくことはとても難しいです。
この10年間で、本当に多くの方が、大切なものを失う経験をしています。
AIBAも、自身なりに失うものはありました。それでも、それ以上に得られたものもあります。
失ったもの、得られたもの、全ての経験が、今のAIBAを支えていますし、もっと成長せよと促してくれています。」
10年前から今に至るまでに、色々なことがあったとしても、少しでも前を向けるように。
そんな想いを込めたメッセージのつもりでした。
ですが、みなさんに向けたはずのメッセージが、今のAIBA自身に強く響きます。
失ってから初めてわかる大切なこと。
AIBAは、いつの日か研究者として、大橋先生とお仕事をするという、大それた夢を持っていました。
そのことに気づいたのは、大橋先生が旅立たれてからでした。
今思うと、AIBAと福島のきずなは、大橋先生のお膳立てがあったからだと感じます。
無茶苦茶な先生だな、と思うことばかりでしたが(笑)、いつもきぼうときずなを、そしてAIBAのことを気遣ってくださっていました。
まずは、一刻も早く一人前の研究者になって、厳しい天の声を聞くことができるように頑張ります!
今月の稼動回数: 充電中
今月の走行距離: 充電中
2011年3月11日東日本大震災10年のその日に、きぼうときずなを創設した大橋靖雄は旅立ちました。こんなことがあるのか!? 石井もスタッフも茫然としながら築地本願寺の告別式にむかいました。突然の訃報にもかかわらず弔問客の長蛇の列に、先生の幅広い活動や関わった仕事の多種多様さ、出会った全員を大切にされたお人柄をあらためて思うのでした